26
 俺は歩みを止め、花苗に向き直る。
「ねぇ、花苗。この場所覚えてる?」
「ここ?」
 花苗は辺りを見回す――。そしてすぐに気付く。
「もちろん。あたしが告白した場所だよね」
「そう。……あのさ、今度は俺の番だよ。だから言わせてね」
 かつて花苗がしてくれたように、今日この時間、この場所で言いたい言葉。もう誰の力も借りることなく、自分の力だけで口にするのだ。
 深呼吸をし、彼女の瞳をまっすぐに見詰める。そして想いを口にする――

「澄田花苗さん。ずっと側にいて欲しい。だから僕と結婚して下さい」

 自分の心を言葉に込めた。これが今の自分の全てなのだ。滞ることなくはっきりと口に出ていた。
 その言葉を聞いた花苗は顔を赤らめ、その瞳にはうっすら涙が浮かび、何かを噛み締めたような表情になった。でも次の瞬間にはやわらかい笑顔になり、俺の瞳をまっすぐに見詰め返した。そして答える――

「はい。喜んで」

 花苗がその言葉を口にした次の瞬間、俺達はまたいつしかのように強く強く抱き締め合った。心からの喜びを全身で感じる。そこに驚きは一切ない。この言葉が聞けると分かっていたのだから。
「ありがとう、嬉しいよ……これが現実だなんて、これ以上の幸せもうどこにもないよ。人を好きになることって、本当に素敵なことだね……」
 花苗は耳元で優しくささやく。
「こんな俺を受け入れてくれてありがとう」
「うん、こちらこそ。ずっと側にいるよ。ずっとずっと」
 自分の熱が花苗に伝わり、そして彼女の体も熱かった。
 二人だけの世界には、高校三年生のあの日と同じ景色がどこまでも広がっていた。


 太陽が完全に沈み、すっかり夜になった。俺達はそのまま歩いてアイショップまで来ていた。当時と変わらぬ外観やおばちゃんに、なんだか少しほっとした。
「今でもお店やってて安心したよ」
「うん、昔よく一緒に買い物したよね。懐かしいなぁ」
 会話をしながら店内を見回し、飲み物でも買うことに。
「ねぇねぇ、遠野くんいっつもこれ飲んでたよね。今日もこれにするの?」
 そう言って花苗はデーリィコーヒーを指差す。
「いや、今日はこれが飲みたいんだ」
 そう言って俺はヨーグルッペを迷わず手に取った。
 過去に囚われ続けたあの頃の自分はもういない。新しい自分で今これからの人生を生きていく。そしてその隣には花苗がいるのだ。
 最初は全く別の所から始まった俺と花苗だった。なにせ最初に付き合い始めた頃は、どうして別れずにいたのかよく分からなかったくらいだ。でもそれから何年もゆっくりと一緒に過ごしていく中で、二人はだんだんと近づき、お互いの歩調を合わせるようになった。そうして今では寄り添い離れず、互いを必要し合える存在になることができたのだ。
 そして今になってやっと気付いた。
 自分が辿り着く場所なんてものは、どこかにあるんじゃない。自分の手で作り出し、引き寄せていかなければならないのだ。
 目的地は定まったかい?
 もちろんだ。視界良好、遮るものは何もない。これからは花苗のために生きていく。そう、簡単なことだ。

 俺も花苗もヨーグルッペを買って、外のベンチに座って一息つく。
「ねぇ、遠野くん。おいしい?」
「うん、おいしいよ」
「でしょ!」
 花苗は自慢げだ。
「……えーっと、あのさ……」
 俺は花苗の顔を見ずに言う。
「うん?」
「……その『遠野くん』って呼ぶの、そろそろ止めて欲しいな」
 思わず手に力が入る。
「え、どうして?」
 一呼吸置いて答える――
「だってこれから花苗も『遠野くん』になるんだから」
 自分で言っておいて流石に照れた。今度はちゃんと花苗を見て答えを待つ。
 そしてすぐに――
「うん! ……貴樹くん」
 花苗は幸せに満ちた最高の笑顔でそう答えてくれた。