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 花苗と再会したあの日から二年が経った。もちろん今でも付き合い続けているし、お互いが好きでいる。俺はあの後新しい仕事を始め、彼女の励ましもあり、今ではなんとか軌道に乗せることができている。正直この先どうなっていくかは分からないが、SE時代のようには戻りたくはないし、何よりもっと人間らしく働きたいと思う。まぁ、自分ができることなんて限られてはいるけど、精一杯やるだけだ。
 一年ほど前から同棲を始め、少し広めの部屋に引っ越した。「こんな部屋がいいね」なんて相談し合うだけでワクワクしたし、長年の付き合いのおかげで初めての共同生活にもすぐ慣れた。朝は澄田の作る朝食の匂いで目覚め、夜は二人で一緒に食事をしながら世間話に花を咲かせた。まぁ、時にはケンカすることもあるけど、それもささいなものだ。二人の歩調は同じなのだから。
 昔とは違って、今はゆったりとした時間が流れている。色々な物事や感情、その日の気温や湿度までもが深く体に伝わってくるのだ。そして思う、一人ではないというのは、こんなにも心強いものなのだろうか。この先の不安なんてほとんど感じないのだ。毎日が充実していて、とにかく楽しい。本当に嬉しい限りだ、そう強く思った。


 長引く夏の暑さもようやく収まり、これから本格的な秋が始まる十月。俺は花苗を里帰りと称して、種子島旅行に誘った。彼女は「急にどうしたの?」なんて驚いていたけど、「なんだかまた行きたくなったんだ」とか適当なことを言ってごまかした。――本当の目的は別にある。わざわざこの月と種子島を選んだのには、どうしてもやりたいことがあるからで、それは彼女には秘密なのだ。別に何か派手なことをやってやろうって訳じゃないけど、同棲を始めてからずっと温めてきた計画だ。きっと上手く成功してくれるはずだ、そう願っている。

 第二土曜日、三連休の初日。ここは種子島だ。時刻は昼過ぎ。まだ夏がかすかに残る、今日はそんな陽気だ。
 この連休中は花苗の実家にお世話になることになっており、彼女のご両親も快く受け入れてくれた。ちゃんと挨拶するのはこれが初めてなので、俺はいささか緊張ぎみだ。
――空港から出ると、すぐに一人の女性が駆け寄ってきた。花苗のお姉さんだ。この連休は俺達に合わせて帰省していて、迎えに来てくれたという訳だ。花苗によると、お姉さんは今鹿児島県内の別の学校で働いており、結婚してすでに子供もいるそうだ。それにしても相変わらず美人な人だ。顔や体形もほとんど変わっていない。まぁ、当時の男子生徒から絶大な人気があったのは言うまでもない、みんなの憧れだったのだ。
「久しぶりね、花苗」
「うん。お姉ちゃんも元気だった?」
 実は花苗が帰省するのは、三年ぶりだった。
「もちろん元気よ。……あら、何かしばらく見ないうちに、私に似てきたんじゃない?」
「え〜、そうかなぁ?」
 そんなことを言いつつも、なんだか嬉しそうだ。花苗は今髪が少し伸びてセミロングで、焼けていた肌もすっかり白くなった。確かに昔のようないかにも島育ちって感じはしなくなっているかもしれないけど、彼女の子供っぽい無邪気な笑顔は今もそのままだ。いつまでも変わって欲しくないって思う。
「そっちの彼は、遠野くんね? すっかり大人になっちゃって、いい男じゃない」
「いえ、そんな。お久しぶりです」
 そんな冗談を交わしつつ、お姉さんの車に乗り込んだ。

 種子島の田舎道をひた走る――。カーステレオから流れるラジオ番組内で、ちょうど懐メロソング特集がやっていた。当然のように、何度も繰り返し聞いていた自分が好きだった曲がかかると、当時の様々な光景や記憶が急に脳裏に浮かび上がった。思わず口ずさむと、当時に思いを馳せずにはいられなかった。
――俺は今、種子島にいるのだ。最後にここにいたのは、もう十年半ほども前の高校を卒業したばかりの頃で、それから一度も来ることはなかった。単純に行く用事がなかったというよりは、行きたくなかった、それに尽きる。自分から拒絶してきたのだ。だから同窓会にも顔を出したことはなく、その頃から今まで当時親しかった友人ですら特に連絡を取ることなく年月が経ってしまった。俺のことを覚えてくれていた人はいるのだろうか?
 車窓からは、遮るものがなにもない気持ちよいくらいに晴れ渡った青空と、どこまでも広がる畑や草原が続いていた。この景色を初めて見たのはもっと昔のことだ。それにもかかわらず、ここは何も変わっていない同じ景色だ。そう、確かに同じなのだが、不思議なくらいに感じるものは昔とまるで違っているのだ。中学二年の春、あの時の複雑な心境は今でもよく覚えている。不安と拒絶しかない心苦しい感覚だけだった。それが今では全く感じず、ここにある全てが自分を迎え入れてくれているような気がするのだ。全てが懐かしく、全てが美しかった。そう感じるのは、自分自身が変われたからだ、ということで良いのだろうか? あの頃の自分はいなくなってくれたのだろうか? ……まぁ、ゆっくり考えればいい。

 そんなことを考えているうちに花苗の実家に到着し車を降りると、その瞬間あるものが目に飛び込んできた。それは高校の頃と同じように、嬉しそうに駆け出してくるカブの姿だった。
「あれ、カブまだ元気だったんだ」
 俺は驚いて目を丸くする。
「うん、長生きなんだよ〜。帰ってきたよ、カブ!」
 花苗は愛情たっぷりにカブの頭を撫で回す。
「天国に行く前に、また遠野くんに会えてよかったねぇ」
「俺のこと覚えてるのかな?」
「もちろん覚えてるよ! だってこんなにも嬉しそうに尻尾振ってるもん。そうだよねぇ? カブ」
 俺もカブを撫でる。こうやって見ると変わってないな、こいつは。また会えてよかったよ。なんだかちょっと心がほっこりした。

 挨拶を済ませ、夕食の時間になり、花苗の家族と一緒に食事をすることに。食卓には種子島の郷土料理がたくさん並んだ。俺はここの出身ではないし当然母も同様なので、こうして口にすることはあまりなかったのだ。食べてみると本当においしく、彼女のご両親に「どんどん食べて」と促されたことも相まって、箸が止まらず何度もおかわりしてしまった。こんな風に故郷の味があるというのは羨ましく、楽しい会話をしながらの賑やかな食卓はとても幸せなことだと思った。