21
――そうと決まれば、すぐにペンを手に取り言葉を綴る。長い文章は必要ない。日時と場所とただ一言、『伝えたいことがあるんだ。だから澄田に会いたい』と。
 彼女の心に届きますように。そう願って、祈るように投函した。


 八月、第三土曜日。約束の時間は午後一時。場所は二人の思い出の地であるいつもの公園だ。
 今日は朝からそわそわして落ち着かなかった。当然だ、澄田に会えるかもしれないのだから。
 あの葉書を出した後、それが戻ってくることはなかったから、彼女の元に届いたことは間違いないはずだ。だけど返信は、電話にもメールにも葉書にもなかった。だから今日澄田が来てくれるかどうかは全く分からない。だけど俺は約束の場所に行く。行きたいし、行かなければならないのだ。かつての自分がそうしたように。
――身だしなみを整え、外に出る。公園はすぐそこだ。
 暑い暑い真夏の日。どこまでも深い紺碧の空に、湧き上がるような積乱雲。熱風に揺り動かされた木々のざわめきに、溢れ出すような蝉の声。陽炎で歪んだ地面に、爽やかな白いシャツ。世界は眩しかった。
 公園に入り、ベンチに腰掛ける。ここは日陰の中で、身を焦がすような強い日差しも幾分和らいだ。見上げれば木漏れ日が、まるで星のようにキラキラと瞬いていた。
――懐かしかった。澄田と一緒にいた時は、春だけでなくどの季節もでもここに来ていたから。またこの場所で彼女を待つ日が来ようとは思わなかった。澄田も俺から連絡が来るなんて、きっと思っていなかっただろう。
 今日は居ても立ってもいられず、一時間も前に到着してしまった。流石に澄田はまだ来ていない。もし約束の時間になって彼女が来てくれなかったとしても、俺は待ち続ける。たとえ雨が降っても、日が暮れても、ずっとずっと。そうしたいのだ。

 そんなことを考え、ふと目を閉じ深く息をついた瞬間、突然肩を叩かれた。
 驚き振り返る――

 そこには澄田がいた。

 赤らめた頬、伏せた目、言葉を発することはなくそこに立っていた。俺は思わず立ち上がり、彼女を見詰める。呼吸するのも忘れていた。懐かしいその姿。二年ぶりに会った澄田は、別れたあの頃と変わっていなかった。髪型、服装の趣味、彼女が放つ雰囲気まで。
 だが一つ違うことがあった。それは印象的ないつもの笑顔が抜け落ちていたということ。その笑顔を奪い去ったのは、他の誰でもない俺だ。
 無言のまま向かい合う俺と澄田。本当に今目の前に彼女がいるのだ。必ず来てくれると、心の中では信じていた。それが自分自身の願望から来るものなのか、それとも澄田の気持ちの憶測から来るものなのかは分からないが、とにかくそう信じていたのだ。高鳴る鼓動と共に胸が熱くなり、俺は自然と泣きそうになった。それは彼女の表情を見てしまったからではなく、今日この場所に来てくれたということが現実になったからだ。こんな自分にまた会ってくれたということが、ただただ嬉しかった。
 何も言わぬ澄田に、俺は恐る恐る声を掛ける――
「久しぶりだね……」
 こういう場合にまず何を言えばいいのかよく分からなかった。
「うん……」
 澄田は小さくつぶやく。
 それから二人並んでベンチに座った。

「えっと、今日は来てくれてありがとう……その……元気、だった?」
「……うん……」
 久しぶりの澄田との会話。緊張感で一杯だ、言葉に詰まってしまう。でも早く本題に入って、自分の正直な気持ちを伝えたいのだ。
「あの、葉書にも書いたけど……澄田に伝えたいことがあるんだ」
「……うん」
「その……最初になんだけど……実は付き合ってた子と別れたんだ」
 澄田の顔を見れずに、下を向いたまま話した。
「……ずるいよ、遠野くん」
「え?」
「……ずるいよ。あたしはね、振られたんだよ……だから帰りたくても帰れる場所なんて無いんだよ。遠野くんとは違うんだよ……」
 澄田の言葉が胸に突き刺さる。
 帰りたい場所――。澄田にとって、それは俺だった。当然だ。俺と付き合ってくれていたのは、彼女が俺を好きでいてくれたからだ。そう、あの頃からすでにそうだった。そんな澄田に自分自身も惹かれ、それと同時に彼女の好意をはっきりと感じていたのだ。それなのに俺は彼女の居場所を踏みにじるように奪い去り、ただ一方的に捨てるように振ったのだ。改めて思う、残酷なことをした。
 今、澄田の心には深い深い悲しみだけだろう。だから伝えたいのだ、自分のこころの内を。それが今の自分にできる唯一のことなのだ。いつだってそうやってきた。そのためにここへ来たのだ。落ち着いてゆっくりでいい、彼女の心に届くように。
「ごめん、その通りだよね……でも本当に聞いて欲しいのは、これから話すことなんだ」
「……」
 澄田は口を閉じたままだ。それでも俺は言葉に気持ちを込めるように話し始める。

「一か月くらい前、夢を見たんだ。そこは種子島にある丘の上で、星がきれいな夜だった。それでね、隣には澄田が座っていたんだ、高校の時みたいに。それからずっと、俺は澄田のことを考えてきた。そうしてやっと自分のしてきたことに気が付くことができたんだ。それはね……俺は澄田のことをまっすぐに見れていなかったんだっていうこと。出会ってから別れた日まで、一度もできていなかった。澄田はさ、それに気付いてたんだよね? 悲しかったよね、辛かったよね。それだけじゃない。こんな俺とずっと付き合い続けてくれていたのに、あんなに酷い振り方してしまった。澄田の心の内なんて考えることもできなかった。だからそれを謝りたくて、伝えたくて、今日来てもらったんだ。……許してくれなんて言わない。本当に本当にごめん。これが今の正直な気持ちなんだ」

 全てを伝えた。澄田の心に届いてくれただろうか? 声が震えていたかもしれない、上手く話せなかったかもしれない、それでも今できることを精一杯やったのだ。それだけで満足だ。
 俺は澄田に目を向け、顔を見た。その瞬間、俺ははっとした。――彼女は泣いていたのだ。ポロポロとその涙が途切れることはなかった。
「遠野くん、やっとあたしのこと見てくれたんだね……」
 澄田は何かを噛み締めるように、そう答えた。
 彼女のその涙とその言葉が、俺の心のつかえを取り去ってくれたような気がした。あぁ、やっぱり澄田の心にしっかりと届いてくれたんだね。それが何より嬉しかったし、安堵することもできた。自分が考え、導き出した答えは正しかったのだ。そしてこれでやっと自分と澄田が救われたんじゃないか、そう思えた。