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 それに明里はいつも手料理を振る舞ってくれた。彼女は驚くくらいどんな料理も上手で、ちょっとしたレストランに出てきそうなくらいだった。それを褒めると明里はいつもにこやかに笑い、毎回違う料理を作ってくれた。「貴樹くんには同じものだけじゃなくて、もっと色々な味を知って欲しいんだよ」なんてことを、食事しながらよく言っていた。
 また部屋で明里と一緒にいても、それぞれが読書を楽しむことも多かった。お互い言葉を発さない無言の空間。それでもただ同じ空間にいるだけで、心が安らぐのを感じることができた。俺は明里の放つこの雰囲気が大好きなんだと改めて思う。こうしていると、この先の未来のことをつい想像してしまう。そんなことをしている自分が少し恥ずかしくもあり、明里も同じ想像をしてくれていることを願うのだった。
 いつも連休最終日に、明里は栃木へ帰る。彼女が帰った後も、まだその温もりが部屋に残っているような気がした。そうか、これが明里の匂いなんだ。彼女の匂いで部屋が満たされていくことが、心を温かくしてくれた。
 明里と出会ってから、二人で色々な場所に行き、色々な経験をし、色々な感情を共有し、たくさん語り合った。そうして俺達はより深く、より濃く関係を築いていった。そこには決して薄まることのない濃密な時間が流れていたと思う。


 そしてあっという間に一年が過ぎ、また春が来た。
「ねぇ、貴樹くん。今度お花見しようよ」
 明里はいつもと同じ穏やかな表情で、俺を誘ってきた。
 場所は二人で話し合い、すぐに決まった。岩舟にあるあの桜の下でやろうということに。やっぱりあそこがいい、だって二人の思い出の場所なのだから。明里もそう言ってくれた。

 週末、俺はあの日以来岩舟に降り立った。季節は春、暖かな陽光が体を包んでくれた。東京とは違い、耳障りな音など全くない。そよぐ風や小鳥のさえずりが響き渡っていた。
 今日は約束の時間通りに到着。陸橋を渡り、駅舎に入った。中はひんやりとした空気で薄暗く、それが一瞬視界を奪う。――視界が鮮明になり、そこには慎ましやかに椅子に座る明里の姿があった。
 彼女を見た瞬間、あの日に見た十三歳の少女と重なって見えた。あの感覚が甦る。でもそこには、あの少女はもういない。少女は大人になったのだ。
 明里は俺と目が合うと、優しく微笑み返してくれた。安心したような、そんな表情。
「ごめん、また待たせちゃったね」
「ううん、今来たところ」
 ありがちな会話をする。
「じゃあ、行こうか」
 彼女の手を取り、駅舎を出た。

 二人は寄り添い、並んで歩く。
 桜の樹は、昔と同じようにそこに立っていた。満開の桜の花びらが美しく咲き誇る。生命の息吹を感じさせるほどに、立派に力強く大地に根を下ろしていた。
 その樹の下に座り、桜を眺めた。俺達の他には誰もいなかった。二人だけの世界。桜舞い散る中に佇む明里は、ただひたすらに美しかった。まるで空想の世界の人のように。
「ねぇ、貴樹くん。また一緒に桜を見ることができたね」
 明里は語りかける。
「そうだね」
 やっとこの瞬間に辿り着くことができたのだ、長い長い旅だった。
「ねぇ、まるで雪みたいだね」
 俺は語りかける。
「覚えてたんだ」
「もちろん」
 二人は笑い合う。
「忘れるわけないよ。秒速五センチだってことも……全てを覚えてる」
「そっか……私も覚えてる」
 明里は遠くを見ていた。
 降り注ぐ桜の花びらは、俺達を祝福してくれているかのようだった。ゆったりとした時間が、そこには流れている。
 その後も、のんびりと会話を楽しんだ。

「ねぇ、私お弁当作ってきたから一緒に食べよう」
 明里はにこやかに言うと、お弁当を取り出し、包みを開いた。
「ありがとう。実は楽しみにしてたんだ」
 そのお弁当は、料理上手な彼女だからか一般的なものよりも幾分豪華なものに見えた。おにぎりや色々なおかず一つ一つに工夫が凝らされ、どれをとってもおいしそうだった。
 俺はおにぎりを手に取り、頬張った。
「……うん、やっぱりおいしいよ」
 素直にそう言う。
「よかった。貴樹くんの期待に応えられたみたいで嬉しいよ」
 そう言って明里もおにぎりに手を伸ばし、一緒に食べた。
「ねぇ、こうやって明里の作ってくれたお弁当食べるの、あの日以来だね」
 俺はあのお弁当を思い出す。
「うん、そうだね」
「あれ、本当においしかったよ。嘘じゃなくて、今まで食べた中で一番おいしかったんだ」
「やっぱり貴樹くんは大げさなんだから」
 明里は笑う。
「本当に忘れられない味なんだ。もちろん今日のだっておいしいし大好きだけど、あれは特別だって感じてる」
 あの日から変わらない正直な感想。
「そうなんだ……きっとお腹がすいてたからよ」
「そんなことないよ。明里が一生懸命作ってきてくれたからだよ」