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 しみじみそう思う。
「ふふ、本当に? ありがとう、なんだか嬉しい」
 花苗ははにかみ、そしてふと考え込んだように少し沈黙――
「ねぇ、昔のことなんだけどさ……」
「うん?」
「遠野くんは中学二年の時に、東京からこっちに引っ越してきたでしょ? でね、その時の始業式の日は、本当に大げさじゃなくて、あたしにとって人生で一番衝撃的な日だったの。だってね、あたし遠野くんに一目ぼれしちゃったんだから!」
「はは、やっぱりそうなんだ」
「やっぱり?」
「お姉さんが言ってたんだ」
「え〜!? もう、あの人何でも言っちゃうんだから!」
 顔を真っ赤にしてむくれる花苗。
「ははは、でもすごくいいお姉さんだね」
「うん、本当にそう。自慢のお姉ちゃんなんだ。あたしが初めて東京に行く日、すごく心配してくれたのを今でもよく思い出すよ。あの時のお姉ちゃん、なんだかちょっと泣きそうな顔してたの。それ見て、本当にあたしは愛されているんだってはっきり感じたし、この人があたしのお姉ちゃんでよかったなぁって思ったんだ。それからも毎月のように連絡して、色んなことを相談に乗ってもらったの。優しかったり厳しかったり、その度にあたしを励ましてくれてすごく心強かったんだ。やっぱり姉妹だからなのかな、お母さんには言えないけど、お姉ちゃんには何でも言えちゃうの」
「そうなんだ、いい人だね」
「うん。だからね、あたしはお姉ちゃんみたいになりたかったの。だけど今でも全然追いつけてないんだー、どうにもならないくらいに。でもね、今はそれでもいいかなって思ってるの。やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんで、あたしはあたしだから。お姉ちゃんには、ずっとあたしの理想の人でいて欲しいんだ」
 悲観的ではなく、嬉しそうに花苗は話す。
「うん、それもいいね」
 自分も誰かのそういう存在でありたいと思った。
「ねぇ、他には何か言ってた?」
「うーん……俺の高校の頃の話とかかな」
「高校の頃かぁ……あのね、あたしはあの頃の遠野くんは、月みたいだって感じていたんだよ」
「月?」
「うん。月ってさ、暗い夜空でもあんなにも綺麗に光り輝いているでしょ? それに手を伸ばしたら今にも掴めそうな気がするけど、それは絶対にできないよね。あたしにとってあの頃の遠野くんは、そういう存在だったの」
「そっか……」
 花苗の口から過去の自分の話を聞くのは、これが初めてだ。
「でもね、あたしはそんな遠野くんを眺めてるだけでもなんだか楽しかった。あたしにとって遠野くんは他の男子とは違って、本当に別世界の人みたいに特別な人だったから。もちろんもどかしい思いもたくさんしたけどね」
「そうだよね」
「でもそれがまさか付き合えて、それから東京で生活していくなんて本当に予想できないことの連続だったよ。遠野くんは相変わらずだったけど、毎日が楽しくって、いっつも遠野くんのこと考えてた。なんだか夢を見てたような、そんな気がしたよ。だからあたしはね、こんな日々がずっと途切れることなく続いて欲しいって心から願ってた。だけど……」
「……」
「だけど現実は違ってた。分かってたけど、やっぱりフラれちゃった……。こんなこと今になってまた言うのかよー、なんて言われちゃうかもしれないけど、あの時は人生で一番悲しかったよ。すごく傷ついてもう立ち直れないと思ったし、島に帰ることも考えた。だけど、それでも何とか前向きに頑張ることができたのは、理由があると思うの。それはいつか遠野くんがあたしをちゃんと見てくれて、迎えに来てくれる日が来るんじゃないかって、心のどこかでは信じていたからかもしれないね。そしたら本当に叶っちゃった。遠野くんを待ち続ける日々はすごく長かったなぁ……何をしたって心に空いた穴を埋めることはできなかったから。それでついにポストに入った葉書を見た瞬間、あたし本気で泣いちゃったよ。あたしの願いが、やっと届いたんだって」
 俺の想いはしっかりと伝わっていたのだ。
「本当に嬉しかったんだけど、でも何でだろう、返事が出せなかった。多分自分のことが信じられなかったのかな……。何て書いたらいいのかも全然分からなくって、正直最初は行っていいのかも迷ったの。でも答えはすぐに出た。迷ってる場合じゃない、絶対に行かなきゃってはっきり決めたの。だって初恋の人が待ってるんだから。……そうそう、約束の前の日は全然寝られなかったっけ。それなのに何時間も早く行っちゃって、待ち切れなかったんだー」
「そうだったんだね」
「うん。でも遠野くんも結構早かったよね」
「ははは、そうだね」
 二人して思わず笑う。
「でもさ、本当に今思うのは、ちゃんと行ってよかったなってことだよ。そうじゃなかったら今ここにいないもん」
 遠くを見ながら花苗は言う。
「うん、俺も同じだよ。来てくれてよかった。そうじゃなかったら俺もここにいないから」
 そうじゃなかったら今どうしているのだろうか? 今となっては想像できないことだ。
「あのさ、それでね、あたしはまた遠野くんと付き合い始めて気付いたことがあるの」
「うん」
「遠野くん、昔とすごく変わったよね。あたしはっきり分かるの」
「そう?」
「うん。昔はね、何ていうか、ずっとずっと遠くのあたしの知らない何かだけを見ている、そんな感じがしたの」
 確かにその通りだった。
「でもね、今の遠野くんはそうじゃなくて、今目の前にあるものだけをしっかりと見詰めているんだって、そんな風にあたしは感じているんだよ」
「そっか……」

「だからね……うん、大人になったよ遠野くん」

 大人になること――。自分が追い求め続けたその目的は、今はかつてのものだ。だけど誰かを守れる力が欲しいという想いは今も同じだ。俺は誰かを守っていきたい。それが今は花苗なのだ。実際に今、俺はその力を手に入れ、本当に大人になることができたのだろうか? ずっと一人で考えてきたけど分からなかった。そう、自分の想いを花苗に話したことはない。だから彼女は知らない、でもきっと気付いてる。そんな花苗の言葉で、やっと確信できた。そう、俺は大人になれたのだと。
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